会社員を辞めて税理士事務所を開業し「一番変わったこと」

変わったことは無数にあった

 税理士事務所を開業して約7年になりますが、開業する前は、税理士事務所に3年、事業会社に16年、合計すると20年近くサラリーマンとして勤務していました。そんな私ですが、先日、これから独立したいという若い税理士とお会いして、「税理士事務所を開業して一番変わったことは何ですか」と聞かれました。

 急にそんなことを聞かれても困るのですが、少し考えたうえで、「人と会うときに、この人にどんな価値を提供できるだろうか?と考えるようになった」と答えました。

もちろん、開業して変わったことは、他にもたくさんあります。誰からも指示されなくなって、時間の使い方も仕事の進め方も完全に自由になりました。自由になったといえば聞こえはいいですが、長年サラリーマンをやってきて、仕事が上から降ってくることに慣れきっていた者にとってはちょっとした苦行でした。

そのほかにも、
「安定した収入がなくなって開業直後の顧問先は0件、事務所家賃やソフトウェアの使用料などの固定費が重くのしかかって不安になった」
「それまでIT部門に任せていたので、パソコンの中にある業務データのバックアップ方法すら分からない」
「突然スキャナーが動かなくなって、何度もドライバーをインストールし直してもダメで途方に暮れた」

そうした変化は無数にありました。

 ただ、その中でも一番大きかったのは、人と会うときの意識が変わったことです。

「どんな価値を提供できるだろうか?」

 会社員時代は、会社の看板がありました。自分が何者かを説明しなくても、名刺に会社名が書いてあります。相手も、その会社の人として会ってくれます。

 もちろん、会社員時代にも自分なりに一生懸命仕事をしていました。ただ、振り返ってみると、会社の信用や知名度に助けられていた部分が大きかったと思います。会社の看板があったからこそ、仕事を通じていろいろな人と会うことができました。

 ところが、開業すると、その看板はなくなります。たくさんいる税理士のうちの一人になりました。会社名ではなく、自分自身を覚えてもらう必要があります。そんな中で自問自答を続けるうちに、いま目の前にいる人に自分は「どんな価値を提供できるだろうか?」と、無意識に考えるようになりました。

開業後の事務所内の様子

開業まもなく始まったコロナ禍

 私が税理士事務所を開業したのは、2019年10月です。その年の12月、東京の市ヶ谷で事務所を借りることになり、賃貸借契約の締結のために不動産屋さんに向かっていたちょうどその頃、「中国で原因不明の肺炎が流行している」という報道を目にしました。

 当時は、まだ今ほど大きなニュースにはなっていませんでした。ただ、どこか気になるニュースではありました。「大丈夫だろう。たぶん……」そう思いながらも、少し不安に感じたことを覚えています。その後の大流行は、皆様もご承知のとおりです。

 開業したばかりで、これから頑張ってお客さんを探さなければならない。いろいろな人に会って、自分のことを知ってもらわなければならない。そう思っていた矢先に、人と会うこと自体が難しくなってしまいました。「これからどうしよう」当時は、かなり焦っていました。

人と会えることは、当たり前ではなくなった

 コロナ禍では、集客のためにと考えていた交流会のような場は軒並み中止、会食もほぼなくなり、人と会うことが難しくなってしまいました。一方で、オンラインのイベントは盛んになりましたが、やはり実際に会って話すのとはまったく違いました。相手の表情や話すときの空気感が画面越しでは見えづらく、距離感が縮まりにくいと感じました。

 それでもしばらくすると、新型コロナの流行は徐々に落ち着いてきて、友人や元同僚と食事に行ったり、お客様からお問い合わせをいただいたりして、人と会う機会が少しずつ増えてきました。そのときに感じたのは、少しほっとした気持ちと、自分と会うために貴重な時間を使ってくれる人に「どんな価値を提供できるだろうか?」というプレッシャーのようなものでした。

会社員時代からの変化

 会社員時代は、そんなことを深く考えたことはありませんでした。もちろん、仕事で誰かと会うときには準備をしていました。相手に無駄な時間を過ごさせるわけにはいきませんし、必要な資料を用意し、話す内容を整理して臨んでいました。

 ただ、友人や同僚と会うときは、特に目的もなく会い、居酒屋で仕事の不満などネガティブな話をすることも多くありました。当時はそれも必要な時間だったのかもしれません。

 しかし、開業してからは、せっかく貴重な時間を使って会ってくれるのであれば、「何か1つでも価値を提供したい」と考えるようになりました。

「価値を提供する」ということ

 ここでいう「価値を提供する」というのは、それほど大げさなことではありません。人と会うたびに、「新規ビジネスのアイデア」や「専門家として価値のある話」ができるわけではありません。むしろ、そういう感じだと疲れてしまいます。もっと軽いことでよいのだと思っています。

 起業するかどうか悩んでいる人であれば、ゆっくり話を聞いて、一緒に考えを整理する。会社員として頑張っている元同僚であれば、会社員とは違う立場になってみて、「会社員時代にもっとこんなことをやっておけばよかった」といった、客観的な立場になったからこそ分かることを話してみる。事業を広げたい社長であれば、その計画を聞きながら、具体的な事業展開を一緒に考える。

 場合によっては、ただ楽しく話すだけでもよいのだと思います。「あいつと会うと楽しい」と思ってもらえるだけでも、十分に価値があるのかもしれません。

 開業してからは、会社の看板がなくなり、人に会ってもらえることが当然ではなくなりました。だからこそ、大切な時間の一部を私のために使ってくれた人に「会ってよかった」と思ってもらいたいと考えています。

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